オレンジとりんご
自分が価値ある存在であるという確信
オレンジとりんごを二つ並べて学生にみせ、「どちらが優れているだろう?」と聞いてみる。一人が「りんご。皮のまま食べられるから」と答えると、「やっぱりオレンジだと思う。ビタミンCがいっぱいでしょう」と反対意見。頭をひねる学生たちを眺めながら「どちらが好きではなく、優れているだろう?」ともう一度聞く。彼らも次第に核心に気づきはじめる。前のほうで真剣に話を聞いていた女子学生が小声で答えた。
「それは比べられないじゃない。だってオレンジはオレンジ、りんごはりんごで違うもの」
確かにオレンジもりんごも自然の果物であり、創造物としての完成度、美しさにだれも口を挟める者はいない。昔からオレンジはオレンジであり、りんごはりんごであったし、それは今後も続いていく。もし、「オレンジ」が途中で「りんご」になりたいと叫んでも、私はいい考えだとは思わない。「オレンジ」はオレンジをめざし、素晴らしいオレンジジュースとなり、「りんご」は完成されたりんごになって、アップルパイやりんごジャムとして人々から喜ばれるのだ。しかし、私たちは人間はどうだろう。自分に与えられた素晴らしい個性にはあまり目を向けず、隣のだれかになりたいと思うことがある。思春期には特にそうなりやすく、いつしか劣等意識の迷路へと入り込む―この話はセルフ・エスティームの大切さについて紹介したものだ。
セルフ・エスティームとは直訳すれば自尊心であるが、悪い意味でのプライドや高慢とは違う。それは「自分自身が価値ある存在であるという肯定的な感情」であり、人間として存在するための基盤である。セルフ・エスティームが低ければ、たえず自分の価値を人の目にゆだねることになり、結果として人が自分をどう思っているのかばかり気になる。しかしセルフ・エスティームが高ければ、自らのすばらしい価値について人と比較する必要はないのだ。
アメリカではセルフ・エスティームのコンセプトが教育の基盤となっており、これまで研究誌やトレーニング教材が数多く出版されてきた。テレビ番組でもセルフ・エスティームに焦点を当てた番組は、古くは「Mr. ロジャー」や「セサミストリート」、そして「バーニーと仲間たち」など数多い。ぬいぐるみの人形が子供たちと飛び跳ねながら、「あなたはすばらしい価値を持った人間ですよ」と日々ブラウン管からメッセージを送る。そして、これらは両親から愛をもらえない子どもたちが、その日受ける唯一称賛の言葉なのだ。